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音楽を奏でる道路!?名護市二見-沖縄探検 [沖縄探検 文化]

音楽を奏でる道路!?名護市二見-沖縄探検について。



音楽が出る道路って、知らなかったなあ。
その仕組みとかに興味が湧いてきます。

実際、どんな感じなんだろう。





・音楽を奏でる道路!?ユクシダロ・・


メロディーロードといって、本土の観光地の
ドライブルートでは時折見かけるそうですが、
沖縄でもあるとは知りませんでした。

場所は、
名護市二見の県道331号線の旧道。
「二見情話の里ミュージックライン」



・二見への愛着が歌に


二見情話の里ミュージックライン、
長しの東海岸二見地区。


この発起人が二見地区区長さん。

走るだけで音楽が流れる仕組みについて
「路面に溝を切り込み、走行する車の
タイヤとの摩擦で音が発生します。この溝の
幅や深さによって音階を作りだして
いるんですよ」と区長さん。


二見情話の里ミュージックラインは
平成24年11月に完成。




・沖縄で長く歌い継がれる島唄「二見情話」


戦時中、本島南部から避難してきた人々で
北部は急激に人口が膨れ上がりました。

終戦の6月に、首里出身の照屋朝敏さんを
はじめとした大勢の人々が二見に避難した
そうです。

戦後の一時期、二見市が誕生することになり、
照屋氏が市長となって二見の戦後復興に努めて
こられました。





情勢が落ち着き照屋氏は帰省することに
なりました。


その際、二見の人々と苦楽を共にしたことや、
行政の長となったことに感謝して、首里に
帰る時に造られたのがこの二見情話ということです。


胸にしみいる哀愁を帯びた旋律、
二見の人々の人柄や自然への思い
溢れる曲です。


大浦湾を見ながらの二見情話は
きっと癒されることでしょう。



沖縄戦70年 伊江島上陸は4月16日-沖縄探検 [沖縄探検 文化]

沖縄戦70年 伊江島上陸は4月16日-沖縄探検について。


沖縄戦については、知られてないことが多い。
悲しみは一途なまで「封印」。

表情では読み取れない深い悲しみが
顔のしわとなって現れ、何も語られず
この世を去っていかないで欲しい。

次代は変わろうとも心はひとつ。
幸せで健康、平和な世の中にしたい。




・沖縄戦から70年 伊江島上陸がきょう


沖縄戦で米軍が伊江島に上陸してから、
16日で70年を迎えます。

日米両軍が1945年の4月21日まで島内各地で
繰り広げた激しい戦闘は「六日戦争」と
呼ばれていたそうです。


防衛隊や義勇隊、女子青年団や婦人協力隊までが
斬り込みに参加し、無残な最期を遂げたようです。

日本軍の伊江島守備隊はほぼ全滅。戦没者は
約3500人(うち住民1500人)に上ります。

住民が避難した壕で「集団自決(集団死)が起こる
など、伊江島の戦争は「沖縄戦の縮図」とも
言われています。





・集団自決で弟を奪われた方もいます


1945年4月16日、伊江島に米軍が上陸。

島の北部にあったユナッパチク壕にひなんしていた
住民が「集団自決」(集団死)に追い込まれたそうです。

ぎせいしゃは正確に分かっていませんが、80人とも
言われています。

家族8人で壕に避難していた当時9歳の並里千枝子さん(79)
=北谷町=艦砲射撃で祖父を失い、壕内で生後6か月の
弟清隆ちゃんを亡くし、「集団自決」で友人も失っています。

「思い出すのはつらい。でも絶対に風化させてはいけない。」
と語っています。



何かあるたびに戦争を思い出すようです。戦争の記憶が
よみがえる。そこにいた人は誰も悪くないのです。


戦争を起こした人が悪いのです。
だから今の政治を見ているとつらいと語っています。
まさにその通りだと思います。


再び戦争の道をたどるような状況を不安視しています。


「戦争は決して起こしてならない」と強く語っています。




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