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「菅原文太と辺野古と反戦の想い」12月2日沖縄出来事ひとりごと [社会]

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今年も
あと1カ月で
終わるのか・・


やりたいことが
いっぱいあるから

一日が
始まるのが
楽しみ・・・か[黒ハート]

終わること
ばかり
考えて
いたなぁ・・


高齢者の買い物支援

トラック野郎




「えっ・・」

だ。

菅原文太さんの
死去に

高倉健さんと
昭和と映画



人生

男の生き方

男は度胸
女は愛嬌

なぜ
昭和の巨匠が・・

追うように

さびしさと
はかなさと
自分自身を
重ねたよ。


そんな折、

沖縄にも
何度とお見えに
なったんだね。


戦時中に
少年時代を過ごした
菅原文太さんは
反戦の立場を貫いた。

米軍基地に苦しむ
沖縄にも寄り添ったよ。

米軍普天間飛行場の
名護市辺野古移設に
反対し、基地問題を

日本全体で考えるべきだ
という意識を強く
持っていたよ。




2010年8月
菅原さんは
辺野古を訪れた。

基地問題を学ぶため。

それ以前にも
宜野湾市の
嘉数高台から
普天間飛行場を
視察。

辺野古移設には、
「理不尽だ。
しかしヤマトゥンチュは
日米関係が
基軸にあるから
『仕方ない』
という人が多い。

この理不尽さを
沖縄の人が
どう思っているのか、
読み取らねばならない。」


宮城県出身の
菅原さん。

東日本大震災の
被災者に寄り添い、
福島第一原発に

「(基地問題も)
原発や増税と
一緒だ。
国民の方を
向いていない。

国の体をなして
いない。」

と東北と沖縄を
重ねていた。


「基地問題に
対する国民の
無関心には
日本が戦争を
きちんと
清算しないまま
戦後70年(近く)
経過したことも
影響している。」


琉球独立論について

「一発逆転の
ホームランになるかも
しれない。

吉理吉理(きりきり)国
として
東北も
独立するかな」

と共感していたよ。


菅原文太さん

昭和をありがとう。

ご冥福をお祈り
申し上げます。


仁義なき戦い







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