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「バヤリースと青春の味、きょう最終出荷」12月26日沖縄出来事ひとりごと [経済]

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バヤリースといえば

青春



部活

・・








ウチナーンチュの
戦後の
楽しみと
若かったあのころ

全てが
凝縮されたもの
それが

バヤリース


きょう最終出荷


こんな日が
来るとは・・


沖縄バヤリース
(南城市、上間長恒社長)

26日金曜日
官公庁御用納めの日、

同社製造の最後の
「バヤリースオレンジ」
を出荷する。

事実上、
42年の歴史に幕を
下ろす。

30日解散、
パート13人を含む
従業員42人は解雇
となるようだ。


営業権は
アサヒ飲料(東京)
に譲渡。


県外飲料メーカーとの
度重なる競争を
乗り越えてきたが、
老朽化した工場へ
設備投資する余裕が
なくなり、後継者
問題も重くのしかかっていた。


米国生まれの
バヤリース

沖縄で64年の歴史。

県民に愛されてきたよ。

バヤリースは

1950年、
米国の会社と
フランチャイズ契約を結び、

「バヤリース・カリフォルニア・
オレンジ(オキナワ)」
が設立、
軍人・軍属向けに
製造を開始。

60年に地元資本を入れて、
「アメリカン・ボトリング」
に社名変更、
民間へも出荷するなど
順調だった。

だが、
ボトリング社は
72年の日本復帰を機に
解散を決める。

そこで社員が出資して
72年、新会社

「沖縄バヤリース」
を設立。


設立後は苦難の連続。

免税だった
米軍関係の出荷が、
復帰後は課税され
価格が跳ね上がる。

米軍はバヤリースを
直接本国から輸入
するようになり、
全体の3割を占めた
米軍向け売り上げを失う。

加えて県外商品が
増加し、価格競争に
さらされる。




追い打ちをかけるように
73年の石油ショックで
ガラス瓶の原料が
不足しコスト高に。

2001年に
解散が検討されたが、
社員は満場一致で
「自主再建」
の道を選択。


起死回生の策で
当時人気のシークヮーサー
に着目し、
シークヮーサー果汁飲料に
着眼。

売れ行きが良かったことから

グァバなどの
県産素材を生かした
健康・長寿商品を
開発。


業績は回復。
04年度売り上げが
過去最高の
16億4800万円だった。


しかし、
商品回転率の早い
飲料業界
新商品開発が
追いつかなかた。


会社は次第に
体力を失った・・。


アメリカナイズされた
味、志向に
それが当時は普通だった。

だんだん
日本人向けに
味がリニューアルされることに
さびしさが・・


経営に一緒に
立ち上がった当時の
社員たちは
みなどんな
思いなんだろう。

ひとつ
ひとつ

沖縄が消えていく


ナイチ化されていく。



わった~うちな~党


ここで

ふんばらないと


県民は

うちな~んちゅは

バヤリースとともに
育ったからや。

沖縄を失うもんだよ。


終わりは始まりでも
あるサ。


言うけど
バヤリースは
沖縄の味だよ


失ったものが
大きかったから

あの味は
アメリカ風味
無くしたら駄目だよ。

ナイチに売れれば
いいサーって
好みを
変えるな。





ウチナーンチュ
愛される味
これからも
追及しないと。。






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