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「東京五輪の聖火のあれは私」12月20日沖縄出来事ひとりごと [市町村]

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たまたま
地方新聞に
掲載された

「聖火リレー
熱狂今に/西原・仲道さん
東京五輪時撮影」

の記事。


世界の具志堅用高さん生まれ島で一日署長





「あの時の
聖火ランナーは私」
と名乗り出る人が。

宜野湾市の
宮城武正さん(72)
がその人だ。

撮影者の
仲道正永さん(67)
とご対面。

半世紀前の
輝かしい光景が
まざまざと
よみがえったと

若かりし日に戻って
互いに喜びあったよ。


東京五輪の
聖火が宜野湾市を
駆け抜けたのは

1964年9月9日。






当時17歳の仲道さん
普天間の急宜野湾市役所
(現在はサンフティーマ)
の正面にある商店屋上に
上がって撮影。


市役所職員だった宮城さんは、
学生時代から
アタッカーとして
活躍したことから
教育委員会の職員から
声がかかり
旧市役所から市上原の
バス停までの
区間ランナーとして
走ったよ。


「走る人がいなければ
やっていいよ」
と軽く受けたつもりが

沿道には大勢の人が
いるし紙ふぶきは舞うしで
こんなに大きなこととは・・」

笑う宮城さん。


日の丸の小旗を持った
小学生らで沿道は
あっという間の人だかり。
電気ボックスの上まで・・

今では考えられない
光景だったようだ。

宮城さんは
50年前の
聖火トーチを
持参し、
仲道さんの自宅を
訪ねた。

当時の写真を基に
当時の様子を語りあう。

話しはよどみなく
聖火リレーから
戦後の沖縄までと
次々に広がる
沖縄の昔ばなしに
花を咲かせたようだ。

東京オリンピックが
やって来る。

50年前に
走った証を
孫たちに伝え残す
いい機会になったようだ。

あの頃は若かった

そうみな若かった

やれなかったこと

できなくて
悔いが残ったこと

やっぱり若かった・・

それは

クヮンマガ
(子や孫)に
伝え
そんな昔ばなしが
一番の薬。

無心に
輝くオジーは
クヮンマガに
一番のヌチグスイ(命の薬)ヤサ。




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