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正しい競争はものを生む母である-ことわざ貯金 [ことわざ]

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正しい競争はものを生む母である-ことわざ貯金について。



正しいとは一体何を指すのでしょう。競争とは
誰と何のためにするのでしょう。

その答えはどこにあるのでしょうか。



・正しい競争とは何のこと、どんなこと?


正々堂々と言う言葉が浮かぶ。一方では「陰でこそこそ」、
一方は「隠れていない、堂々とやっている」。

競争社会、どっちが正しいのか。簡単に安易に経営ノウハウ
など積み重ねた仕組みを努力をマネされやすい現代社会。


私の右腕的存在、できる社員。気がつけば独立していた、
なんてことはよくある話だと思います。


こうなったら、人を信用もできないし、簡単に信じることも、
経営ノウハウなど簡単に教えられない世の中になったものです。


会社間、同じ業界内においても値段勝負を筆頭に非情なまでの
競争原理が働いています。


食うか食われるかで神経を削るより、同じ業界、仲よくやりながら
上手くやっていく方法はないものでしょうか。


卑劣な方法をいとも簡単にそれも表向きの言葉は「正々堂々」、
相手との競争意識から来る悪意なき正しさを責める理由もない。


相手が嫌がっていること、それがためにやる気を失うことを
正しい競争とは言わないと思います。
相手に損害や被害を与えず、互いに発展的な会話ができるような
競争社会を少なくても、上に立つ身である立場の方々が率先して
現場に近い汗と努力の人であってほしいと願います。


正しくなければ犯罪?だから法律に触れる。だからしては
いけない?

法律にも犯罪にも抵触しないが「正しい」かどうかは
心の問題で、義理人情とか不義理とか、昔ながらの
大切な思いやりの精神をさしているのではないでしょうか。


誰もがそうする、誰もがやっているから。
それが今やふつう。


みんながやるから、やったほうがいい。

アイツ嫌いだから、嫌われているから自分も話さない。


往々にして人の意見、大多数意見が正しいかのような
何が逆に正しいのかは、分かりづらくなってきています。

少なくても相手が嫌かどうかが判断材料だとは思います。




・正しい競争はものを生む母であるとは?


正しくないとものは生まれないの?とそのままの
意味に取ってしまうと、そのようになってしまいます。



正しい、つまり自分のため。本当に自分が願っている
ことなのかしたいことなのかを問う意味で。
嫌でも仕方がない、または命令や指示による反社会的な行為
に自分が手を下す、染めるときの判断基準。

家族のため(になるか)。それは笑顔の絶えない家庭、
または家族を身内を大切にする教えかなど。



誰も犠牲にしない精神、他人をいかに傷つけずに
正義に反せず、自分の願う夢や目標を求める
自分のための人生や生き方を問うものであると思います。


それを淡々とやり続ける過程の中で、まわりと
自分との境遇の差や隣がよく見えてならない時など、
人との勝ち負けにあらず、自分自身の今の力量を
見極め、一歩でも前進、一歩でも目標に近づける
自分との戦いが人生であることへ気づくこと。


目標や課題は一生懸命やった中で、うちなる自分自身の
中から自然に生まれるものだと思います。


正しい競争とは、自分自身との闘いであり、
自分はどうしたいのか、どうするべきかは
あらたな課題がきっと生まれることでしょう。


他者と競争して、生きがいを感じるためにも
自分との競争が大事ということになるのでしょうか。

他者を追い込む、戦意喪失させるにしても
仲間であり友人でありライバルとして
受け入られるためにも、自分との競争をしょう。


こういった原理から生まれる考え方がふつうだと
自然破壊や企業間のつぶし合いもよりよい発展
ではないと思い合えるそんな気がします。



自分の中に課題や努力の過程を見出す生き方を
淡々とできる人物にならなければと思っています。




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