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沖縄の慰霊の日、戦争なければ・・・もう帰ってこない [慰霊の日]

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戦争なければ・・・

69年目の沖縄、慰霊の日迎える


「小さな島からの大きな問い」はこちら
 ↓ ↓ ↓




「実子今年も来たよ」。
当時1歳だった妹の
実子さんを失った
比嘉時子さん(80)
=沖縄市=23日、
平和の礎に刻まれし
妹の名をなぞり、
目を潤ませた。
もう、80代だよ。
言葉に詰まります。


戦中、山の中の壕に
逃げようしたがt
「泣いて声が
聞こえたら大変だからでなさい」
といわれ、入れなかった。
その数日後に妹は息を
引き取った。

防衛隊として行った
伊江島でお父さんも亡くす。

「戦争は一生残る
つらい思い出だと思う」
69年前の出来事そして
亡き母を思う。

那覇市の嘉数トシさん(92)。

沖縄戦で家族8人全員を失う。
弟2人は学徒動員で失い、
父母とほかのきょうだいは
南部で消息を絶つ。

「戦争で家族みんなが
死んでしまった。
もう二度と戦争を起こしては
いけない」と訴えた。

嘉数さんは戦前に結婚、
嫁ぎ先の家族と九州へ疎開、
沖縄に戻ると家族全員が
亡くなっていること知った。

「一人だけ生き残った」

那覇商高で開かれた
慰霊祭に参加。

「生徒たちを見ていたら
懐かしい思い出がよみがえり
涙が出る。毎年出席したい」
生徒たちと近い年齢で亡くなった
弟たちを懐かしがった。

静かに語る思い

体験した者しか
わからない
深さ。

同じ深さを経験して欲しくない。

ただただ
今生きてるでしょ。
今それがどんなに幸せなのか。

あなたがたの
幸せを陰ながら応援してるよ。

オバーになったけど、
みんなのオバーだよ。

ちゃんとみてるよ、
幸せになってよ。

戦争はしないでよ、
と心の叫びと願いよ。

届け!



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